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家族だけの小さなお葬式で、故人を暖かく見送りたい人へ

家族葬が主流になりつつある

京都のおばさんが遊びに来た時、御近所で人が亡くなっても、家族葬にして報告だけのお宅が多くなったと言います。『●月◎日、亡くなりました。』と、2日3日後に連絡が来るそうです。古い町でもそうなのかぁーと、少しさみしい思いがしました。 喪服を着て拝む姿

大きくて立派なお葬式から小さくて温かいお葬式

そう言えば私の近所でも、お葬式の連絡がここ2~3年来ません。いつの間にか、姿を消しているパターンが多くなっています。(あれ?)

ご近所同士のつながりが、気薄になっている今の時代を嘆くより、時代の流れと自然に受け止めてしまっている自分にちょっとびっくりです。

お年寄りがよく口にする『世間並みのお葬式を上げたい』という言葉どおり、親戚やご近所、古いお友達などを呼び、世間体で行うのが今までは普通でした。実業家であれば、祭壇やお坊さんの数、参列者の数、花輪の数などを気にしているのかもしれません。長い人生、たまに出くわすお葬式、大きくてりっぱな催事場や多くの参列者を目にすると、私の両親にもこんな立派なお葬式を上げてあげればと願っている自分がいます。

世間体ではなく、気持ちがこもったお葬式をと願うのは建前で、人並みの葬儀を上げて大切な人の最後を、華やかに締めくくりたいというというのも本音です。そもそも、古墳やピラミッドなどは、王様の生前の栄華を誇り、未来永劫語り継がれる為に作られたもの、そういった欲が人の中には多かれ少なかれありますよね。

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でも、平均寿命が延びて送る人も送られる人も、既に浮世のしがらみから解放されている状況となると話が違ってきています。自らが生きてきた証を、お仕着せの葬儀なんかで締めくくりたくないと言う気持ちが、亡くなる本人の本音かもしれません。 墓参り

個性の時代に 相応しい葬儀を

今は、個性の時代。ネットが発達して、自分の意見や感想を自由に発言し、多くの人に知らせることが簡単にできます。自らが生きてきた証を、他人と同じ形にすること自体、故人の人格を無視しているのかもしれません。

故人が好きだった音楽をかけて、ずっと過ごした部屋で、思い出話をしながら過ごす時間がいいかもしれません。

描き続けた絵や彫刻があれば、個展形式のお葬式にしてもナイス!です。

可愛がっていた犬や猫の写真を、花の代わりに棺に中に埋め尽くすのもいいかもしれません。

海が好きだった方は、海洋葬にしてもらい海に散骨するのもいいかもしれません。山好きならば、山葬。

亡くなった人の数だけ、お葬式があってもしかりです。

実はNHKのクローズアップ現代、ゆどきネットワーク、あさいちと、フジテレビのエチカの鏡などで紹介された、家族葬の葬儀屋さんがあります。グローバルケアというところです。

まずは、プラン作りから。実現可能な葬儀で、なるべく故人の意向に沿ったお葬式にするために、資料請求からはじめるのがいいですよね。

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