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他の人はどうやって文の構成を考えている?

ライター向けの文章術

文章術の本を読むこともあるのですが、何冊読んでも身に付きません。正直、書きたいことを容易に文字できませんし(^_^;)、果たして読み手に伝わっているのかも不安です(;´Д`A)。思うに文章を上手になるには数を書き続けるしか方法はなく、誰かに教わるものではないというのが私の持論なのです。

でも。。。

メディアで有名なコピーライター方達の文書術や、他人の文の構成の組み立て方は興味があります。好奇心から、つい何冊も買ってしまうのです。他人の思考回路を覗くのは、どんなゴシップよりワクワクしますからね。少ない思考回路しか持ち合わせていない私は、必死で補いたいという潜在意識がそうさせていることもあります。

メモを見ながらパソコン作業

気になっていた古賀史健氏

古賀史健氏の書籍「20歳の自分に受けさせたい文章講義」の中に、『考えるために書く』という言葉を見つけました。それ以来、私と似ているかもとずっと気になっていた方です。多くの文章術では、まずテーマを決めてからというのが王道です。でも私の場合は、書きながら考えがまとまっていったり、新たなテーマが閃くといったことはしょっちゅうなのです。

古賀史健氏が気になる理由は他にもあり、自分のことを作家ではなくライターと名乗っています。自分の内面に強い訴えたいことがあるのではなく、他人の訴えたいことを代弁して多くの人に認知させるのが仕事としている方です。他のウェブ記事には、ゴーストライターといった言葉も見つけました。

そんなことから、古賀氏には迷惑でしょうけど『ちょっと、私たちブロガーに似ているじゃない?』と親近感を感じているのです。(古賀氏はライターとブロガーは違うと力強く、下の書籍で断言しています。やっぱり迷惑なんですね。)

作家であってもドキュメンタリー、フィクション、シナリオライター、劇作家、コラムニスト・・・と分野が分かれていて、文の構成の組み立て方は各々違うはずです。目指す自分に一番近い分野の方の、思考回路を学ぶことは有益に違いありません。

「取材・執筆・推敲――書く人の教科書」

「取材・執筆・推敲――書く人の教科書」は、ライターやそれに似た方たちがターゲットです。このことを本の帯や前書きに、どうしてきちんと書かれていないのでしょう。間違っても、詩人や童話作家向けの文章術ではないのに。

書店の紹介では、<「この一冊だけでいい。」100年後にも残る、「文章本の決定版」をつくりました。>なんて書いてありました。その意気込み通り500頁にわたる大論文で、ライターとしての誇りが十二分に伝わります。

何もないところからテーマを考えるクリエイターと違う点は、代弁される方の本質を見抜かなければならないことです。代弁される方を過大評価するのでも、過小評価するのでもなく、等身大の姿をとらえてオンリーワンの魅力を最大限に表現していきます。それは芸術というより、計算しつくされた職人技が必要だと言いたいのですね。

ライターの職人芸を次のように表現しています。「ライターとはことばの録音機となり、語りの拡声器となり、思いの翻訳機となることが求められている」。プロはこんな風に考えて文章を書き続けているのかと、自分との落差に愕然とします。

自分の心をどれだけ動かせるか?

文書術のテクニックが滔々と語られるのかと思いきや、最初の章でエンターテイメント精神の有無について語っています。読者が面白いと感じるためには、自分の心が躍動していなければいけないというのです。

心を躍動させる訓練は、書くことより先に「読者としての自分」を鍛えることだそうです。面白い文章を書けないのは、「書き手のあなた」が悪いのではなく「読者としてのあなた」が悪いとあります。『そりゃそうね!』と私。目にした情報を自分事としてとらえ、面白い情報か、否かの判断ができるための訓練をしなくてはと決心してみました。

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書くべきテーマを自分事としてとらえるために、自分の心を動かせるように自分を変えるべきともあります。そこには勇気が必要とあり、ふと人は思うほど変わることができないことに気づくのです。コンテンツが面白くないのは書き手の心が動いていないからと、繰り返し書かれていて『はっと』息を飲みました。

誰も提言していな文章術

「20歳の自分に受けさせたい文章講義」と同様に、他の誰もが提言していない新しい発想と切り口を披露しています。私は、完璧に説得されてしまったようです。

起承転結に疑問

特に詳細説明がされているのは、「起承転結」の構成です。最後まで読まないと理解できないのは、無駄に読者を迷わせるだけです。古賀氏が提唱するのは、「起転承結」です。

日本の言葉は最後に述語が来るので、最後まで聞かないと結論が分からないもどかしさがあります。商談でも挨拶の後は世間話から始まり、既存の商品の問題点を提示後(承)、自社製品がその問題点を解決している(転)と説得すると想像します。「起承転結」は正しいのです。

ところが日本の文化には根回しといったこともあり、話し合う前から、お互い何を言いたいのか分かっている場合がほとんどです。アポイントメントなしの営業が成功しない理由は、この辺にあるのかもしれません。
となると、古賀氏が言うように「起転承結」でしょうか?

話の切り口をつくる「起」は1番最初にもってくるのは良いとしても、次に何について話したいのか「転」を告げておくことは大切です。文章は前もって根回しはできないので、最後まで付き合ってくれないかもしれません。次に、何故そうしたいのかの理由や、裏付ける事実や類例も詳細説明する「承」を、付け加えることで相手の信頼を獲得できます。先の商談例では、既存の商品の問題点などがここにあたるのでしょう。こうした論証を得たうえで結論を出す方法は、確かに文章では説得しやすいですね。

からっぽになって推敲する

一度書いた文章を読み直す作業は、私的にはストレスです。書いたのち2日~3日後の間は、何度か誤字脱字チェックのために読み直しますが、後は1年2年放置したままの記事も少なくありません。

推敲しない理由はストレスであること以外に、自分の書いた文章の良い悪いの判断が付きにくいこともあります。読者にとっては難文であっても、書いた自分には非常にわかりやすい『満足!!』といったことはよくあるからです。

ある日、4年ほど経過した記事を読み直して、幼稚な文章に顔を赤らめてしまいました。4年間の間に自分が成長したのか、書いた文面にある環境や背景を忘れてしまっているからなのか、いずれにしろ推敲は上手くいったのです。

推敲は文章を書いた時の思い込みや背景を全て無くして、他人の文章を読むようにすると上手くいくようです。

古賀氏によれば、「からっぽの自分」に立ち返ることだと書いています。正しいけど、難しいですよね。でも、とっても良い言葉なので胸に刻んでおきます。

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