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不適応者と気づいたから深い人間観察にのめり込んだ

大学教授に不似合いな経歴

アメリカの社会哲学者であり著述家でもあり、さらにカリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授でもあったエリック・ホッファーは、沖仲仕でもありました。教授を目指して沖仲仕の仕事を副業でやっているというのではなく、沖仲仕を一生の仕事として選んで、たまたま教授になったという珍しい人です。

ホッファーの沖仲仕時代に書き綴った日記が、「波止場日記 労働と思索」という本にあります。日記には沖仲仕の仕事についての詳細は少なく、その日一緒にパートナーを組んだ仕事仲間の名前と身体的特徴と性格を一言、港の場所と思われる番号が書かれているだけです。仕事内容で苦労したことや、仕事仲間との会話は書かれていません。後は、読書中の書籍名と著者名と、独自の深い人間観察(こちらがほとんど)について書かれています。ただ、こうした思索も決して長文とはいえず、次の日はまた別テーマについての思索が綴られていきます。

サンフランシスコ港

テーマが分かりにくく主観的な言葉に棘を感じて、読み始めは毒舌家の独り言のようでした。読み進むにつれて、のめり込みます。何故、のめり込めるのか不思議に思いながらです。無理やり書くならば深い洞察力と、「裸の王様に裸であることを告げた」あの子供のような純粋さ。「それが普通、世間とはそんなもんだ」とやり過ごしていた自分に対して、後ろめたささえ感じ新鮮な観察力に惹きつけられたためです。

人と違うからこそ見えるものがある?

少し前に、雪の練習生という本を紹介した際、「動物から見た人間の姿にドキリ」とタイトルを付けました。人間観察は人間と全く同じ視点でいたら、できないとうすうす感じていますが、檻の中から檻の外にいる人間をみる白熊のように別次元であることが必要です。

ホッファーの思索に多くの人が惹きつけられる理由は、その人間観察に別次元の空間を感じるから、ホッファーからしか読めない思索があるからに違いありません。

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ホッファーが32歳の頃、沖仲仕の仕事に就く前には、家のない失業独身者を収容する連邦キャンプで過ごしました。そこで暮らす人たちと似ていることに気が付きます。というのは人間として特殊なタイプの属し、社会の秩序に適応しえぬ人間 ミスフット(不適応者)だということです。この時から、ホッファーの人間観察に深みが増し、本格的な思索を始めたといいます。

不適応者だからなのでしょうかね。

つらい仕事が思索を助けるとは?

ホッファーにとって沖仲仕の仕事は、思索を助ける道具でした。そのため政治学研究教授になった後も65歳まで、沖仲仕の仕事を続けています。

沖仲仕とははしけと本船との間で、荷物のあげおろしをする人夫のこと。沖仲仕の仕事に就く前も肉体労働に従事していましたが、さらにもっともつらい仕事を探し求め、サンフランシスコでの湾荷役の仕事を選ぶのです。1941年ホッファーが39歳の時です。この時ホッファーは、労働と思索の生活を送るには好都合と喜びました。『自由と運動と閑暇と収入とかが、これほど適度に調和した職業を他に見出すのは困難であろう。』といっているのです。

ちょっと考えてみると、知識人やエリートの方の仕事観は、肉体労働は時間を切り売りするだけで価値がないと嫌煙しています。こうした方たちの多くは、成功者である自負があり、他の人と比べて優位な位置にいると考えているものです。

ホッファーの意識は全く真逆で、先にも書いた通り不適格者です。ものを思索し書くという行為も、優越感や人に何かを教えるといったことではなく、幸福感を感じるからと日記にありました。地位や名誉には関心がなさそうです。

エリートの代表でもある権力者にいたっては、自由な時間を有効に活用できない人間が、権力を渇望するのだと書いています。もし、ヒットラーが才能と真の芸術家の気質を持っていたら、もしもスターリンが一流の理論家になる能力をもっていたら、。。。違ったものになるだろうと言っているのです。

勘違いしてはいけないのは、ホッファー自身も知識の習得のために日夜読書を続けています。日々変わる書籍名に、この人は速読技術でも身に付けているのかと思うほど、読書量は相当です。読んだ本に関する説明も多くありません。ホッファーにとって、本はジグソーパズルのピースの一つにすぎません。

かき集めたピースを使って、独自の思索法でパズルを組み立ててるために、沖仲仕の仕事が必要だったということなのでしょう?

非常に面白いです。↓

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