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江戸時代の古民家25棟を一気に鑑賞

里山の自然が古民家とぴったりね

川崎市市制100周年記念事業・全国都市緑化かわさきフェアの開催地である、生田緑地へ行ってまいりました。平日に行ったためにイベントもお店も出店はありません。お目当てはもっぱら植物目当てです。

生田緑地は里山の美しい風景の他、『日本民家園』や『かわさき宙(そら)と緑の科学館』、『川崎市 岡本太郎美術館』などの施設を楽しむこともできます。今回ふらりと立ち寄った『日本民家園』が、予想外に私を夢中にしました。古い麦わら屋根の造りだけでなく家の中の間取りや農業器具などから、当時の暮らしぶりが伝わってきました。

当記事では民家園の話を中心に紹介します。緑化川崎フェアについては後日、また。

江向家住宅

古民家のメンテナンスは費用と手間がかかる

25民家のうち2棟では係員の方が囲炉裏を炊いていて、色々話しかけてくれました。これだけ状態の良い古民家を保存しているのは、日本でも数が少ないそうなのです。国指定重要文化財7件、国指定重要有形民俗文化財1件、県指定重要文化財10件、市指定重要歴史記念物7件と、すべて国・県・市の文化財の指定を受けています。

『藁屋根の修復とかするのですか?』と聞きましたら、地方の森林組合の方を頼んでいるのだそうです。

毎年どこかしらの民家を修復していて、費用は4~5千万円くらいかかるそうです。それは複数棟の費用ではなく1棟の値段です。一般の家の新築の値段ですねと言っていました。

囲炉裏に火を入れているのも、家の中をカビさせない工夫なのだそうです。当初、何もしなかったため劣化が激しかったと話していました。25棟を順々に回って、火を焚き続ける手間も大変ですね。

そんな会話をしていたら、外人のカップルが家の中に入ってきました。囲炉裏を炊いていた係員の方はご年配の方ありながら、流ちょうな英語でお話をしていました。まぁ素敵!!

囲炉裏を炊いて古民家の湿害からまもっているところ

私が気になった古民家や農機具などをピックアップして紹介します。

船越の舞台

歌舞伎舞台は四国村ミウゼアムでもありました、四国の方は藁葺屋根でしたが、こちらは新しく瓦屋根で一部2階になっています。2階は楽屋に使われていました。

船越は海漁で栄えた漁村で、毎年旧暦6月の祭礼に芝居が奉納された場所だそうです。廻り舞台や、左側のセリアゲと呼ばれる花道の一部が上下に昇降させる設備など、歌舞伎に必要な舞台装置がほぼ整えられています。

船越の舞台

船越の舞台の裏に回ると、地下の入り口付近まで入れるようになっていました。楽屋で使っていたのでしょうか?小道具を一時的に保管していたのでしょうか?あれこれと想像を掻き立てられました。

トウミ

籾摺(もみす)りした後に、上部の三角形のところから玄米と混ざっているもみ殻や藁くずを入れます。手回しの送風機で風を送り、軽いもみ殻などを吹き飛ばしながら取り除き、玄米だけを選別していきます。玄米のような穀物は湿気を嫌うので水を使えないため、風の力を利用します。

トウミ(籾摺りをした後に、玄米だけを選別する機械)

菅原家住宅

屋根の上の窓はハッポウと呼ばれます。養蚕用で室内に明りを取り入れ、換気を行うためです。
山形県の湯殿山麓の田麦俣集落やと大鳥川流域に多く見られた民家です。

菅原家住宅

うまや

家の中の広い土間で家畜を買っていたのですよね。看板にはうまやと書かれていました。馬ね?現代もペットを室内で飼いますので、そう考えれば普通なのかな?

うまや

広瀬家住宅

驚くほど軒の低い家で、180cmもある人ならかがまなければ中に入れないくらいです。強風対策のためのようです。

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広瀬家住宅

沖永良部(おきのえらぶ)の高倉

湿害を防ぐために高床式になっていて、農作物などの貯蔵庫に使われていました。この建物は鹿児島県大島郡和泊町のものですが、飛騨白川や秩父等の山間部、沖縄、奄美、八丈等の島しょ部にも多く見られるようです。

それにしても、この細い梯子を荷物をもって上がるのはなかなかスリリングな話だと思いませんか?

沖永良部の高倉

作田家住宅

佐久田村(今の千葉県山武郡九十九里町作田)で鰯の漁の網元を営んでいたお宅で見つけた、船の櫂です。下の部屋との比較から、相当大きいことが伺えます。

作田家住宅の中の船の櫂

最初に書いた囲炉裏に火を入れていた係員さんにお会いしました。

作田家住宅の中で囲炉裏を炊く係員さん

山下家住宅

飛騨の白川郷の合掌造り。屋根が急勾配なのは雪が落ちやすく、雪下ろしの手間を省くようにという意図があるようです。急勾配によってつくられた幾層にも区切られた広大な屋根裏部屋は、養蚕を行ったり、冬の食べ物や薪などの貯蔵用としても使われていました。

山下家住宅

野原家住宅

越中五箇山の利賀集落から移築した合掌造り。急勾配の屋根裏部屋は、養蚕や食料・燃料を蓄える場所として使われました。

野原家住宅

水車小屋

車輪の直径3.6メートル。木製の車輪が水の勢いで回り、歯車装置を利用して製粉、精米、麦打ちに使われていました。

水車小屋

三澤家住宅

伊那街道の伊那部宿にあった薬屋。三澤家は代々組頭役で、一時名主も勤めた家柄です。
屋根は切妻造で板が並べられていて、かなりの数の石を乗せられていました。(民家園のチケットの写真が、このお宅の屋根です。)壁は土壁漆喰仕上で、外部に露出した貫と柱によって作られる格子模様です。今でも通じる美しさがあります。

三澤家住宅

佐治家の門・供侍・堀

名古屋城の東及び南を防御する武家屋敷帯に建てられていました。持ち主であった石川家は、250石取り尾張藩士で幕末には御普請奉行として50石の加増を得ていました。
長塀筋に面し、門・供待・塀が一体となって武家屋敷の表構えを持っています。時代劇で見たことあるような、無いような、ではないでしょうか。門の形式は切妻屋根の棟門。

佐治家の門・供侍・堀

原家住宅

原家は江戸時代からの有力百姓で、村内有数の豪農でした。
江戸自体の流れを汲む木造建築技術が高度に発達した明治時代後期の建物で、完成までに22年を費やした豪壮な民家です。

原家住宅

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