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屋島の観光スポットをギュッと凝縮―四国村編―

屋島山上の帰りに四国村に寄る

午前中に屋島山上を観光した後、やしま山上シャトルバスを使い四国村へ行きます。四国村ではうどんがおいしい「わらや」と、四国村ミウゼアムを堪能しました。

四国村わらやを全体から写したところ

わらや

学生の頃友達と一緒に四国に訪れた際(40年前だぁー)、高松に住む叔父に連れて行ってもらって以来、「わらや」の大好きになりました。わらやは藁ぶき屋根のお店と風車は昔のままですが、お店の中は変わっておしゃれになっていました。

雑誌などで紹介されたグルメ店でも、地元の人には支持されないこともありますが、逆に地元の人が紹介するお店は信用できます。高松に来た時はできるだけ屋島まで足を延ばし、『わらや』でうどんを食べています。

ちょうど、12時前に着いたので、お店の前にちょっとした行列ができていました。

わらやを水車側からとったところで、行列が見える。

ぶっかけうどんとお稲荷さんを食べました。お稲荷さんは油揚げの味付けが淡泊ですが、酢飯の方にしっかりと味がついていて、さわやかな後味でした。こういうお稲荷さんもありかと納得。

四国村ミウゼアム

下の建物でチケットを買って、四国村ミウゼアムに入ります。

四国ミウゼアムのチケット売り場

屋島山上の時は外人は見当たりませんでしたが、このミウゼアムでは2組と外人団体に出くわしました。こういった日本的なものが、好きなんでしょうかね。

流れ坂

坂道に敷き詰められた石は彫刻家の流政之の作品で、屋島に隣接する庵治の石切り場から切り出された花崗岩を使っています。硬い石でしかもごつごつと平面でないために、足への衝撃はちょっぴり刺激的です。

流政之の流坂

ミウセアムに多く点在しているわらぶき屋根の古民家を、流政之は女性的でおとなしいと感じ、男性的な石畳を作ったと言われています。

流坂を過ぎるとつり橋が見えてきます。

つり橋

つり橋は徳島県祖谷の「かずら橋」を、縮小して復元したものだそうです。

徳島県祖谷の「かずら橋」を模倣したつり橋

このつり橋を目当てにミウゼアムに行ったのですが、情けないことに我々夫婦は渡ることができませんでした。足元の木は古めかしく今にも折れそうな気配で、木と木の間の隙間は広く下の水が見えています。木を繋ぐロープも、ほころんでいるようで頼りなく見えました。

後から来た、若い夫婦は旦那さんが子供を小脇に抱えながら渡り切っていました。ガックリ_| ̄|○。

農村歌舞伎舞台

小豆島小部地区から移転したもので、農民が演劇を楽しむためにつくられた歌舞伎舞台です。

農村歌舞伎舞台

階段状の観客席は広く、高い。ただ、藁ぶき屋根の下の舞台は、狭いし見えずらいと感じました。

でも、舞台の中央に直径約4.8メートルの鍋蓋式真棒廻り舞台があります。舞台が回転するということのようです。江戸時代のものですから、既にこうした大掛かりな舞台装置が作られていたということなのですね。

砂糖しめ小屋

砂糖は江戸時代後期、讃岐(香川県の旧国名)の特産品でした。讃岐平野にはサトウキビ畑とそれを絞る砂糖しめ小屋が点在していたそうです。

砂糖しめ小屋

わらぶき小屋が円筒の形をしているのは、大きな白うすに長い腕木をつけ、牛2頭が腕木をくるくる回りながらうす引いていたからです。

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大久野島灯台

広島県竹原市の沖合に浮かぶ、周囲4キロメートルの小さな島にあった灯台です。明治27年5月15日初点灯しました。現在は、2代目の灯台が島にあります。

下側の基礎部分は花崗岩の切石積で、その上は鋳鉄(ちゅうてつ)製だそうです。おしゃれで思わず、シャッターを降ろしました。

大久野島灯台

江埼灯台退息所

灯台退息所とは、灯台守の宿舎のことです。

江埼灯台退息所

当初は外国人が灯台守をしていたため、灯台退息所も西洋風でしたが、徐々に日本風に変わっていく様子が見て取れました。ここには灯台退息所が4つぐらい並べられていて、時代の流れと共に変化しています。

石組

流政之作品。林の木漏れ日の中にある水辺は、真夏日に涼しさを提供してくれました。外人のカップルが、ここでしばらく休んでいました。

石組の水辺

不規則な石畳の階段

林の中のほとんどの道は、こうした石畳みの階段が敷かれていました。滑る心配はありませんが、ゴロゴロして歩きにくいというのが正直なところです。

不規則な石畳の階段

醤油蔵

1810年頃、小豆島から始まり讃岐の醤油造りが盛んになりました。この四国ミウゼアムの隠れた目玉ではないかと思う程、建物(3棟)と用具(5,577点)が充実しています。ミウゼアムのWEBでは詳細がなかったので、来た人だけの内緒なのかな?(ばらしてしまった!)

醤油造りの方法を学ぶことができました。

加工した大豆・小麦と種麹を入れたモロブタを積み上げ、4日間かけて醤油麹を作ります。醤油麹は塩水と混ぜて仕込み桶に入れられます。

仕込み桶

人がすっぽりと入るくらい、それは大きな仕込み桶です。この樽で熟成諸味を作るのだそうです。

仕込み桶

この醤油樽の上から人がカイと呼ばれる道具で、かき混ぜる「櫂入れ(かいいれ)」という作業を行います。櫂入れ作業を1年間行い続けると熟成諸味となり、袋に、できた諸味を詰め込みます。

醤油の絞り袋

仕込み桶で作られた熟成諸味を、この袋に入れるんですね。すっごい沢山。

醤油絞り袋
オシブネ

諸味から粕をこしとるために使う道具だそうです。樽の中に積み上げた絞り袋をテコの原理を用いて圧搾し、醤油を絞り出します。重りの蓋を徐々に重くしながら、10日間かけて圧搾するのだそうです。

オシブネ
販売用の醤油樽

昔はこんな樽で醤油を買っていたのでしょうか?仕込み桶をそのまま小さくしたようですね。

醤油樽

現在、レトロな醤油樽として「ヤフオク」などで売られています。確かに趣がありますが、今時の住宅事情ではやっぱりペットボトルサイズということになるのでしょうけどね。

醤油瓶

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