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自由に生きられる認知症はまさにニーチェの哲学だ

認知症の父を介護した葛藤の記録

高橋秀実さんの『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』を読みました。私も同じような経験をし、悶々と悩み似たような記憶があります。

高橋さんは医師にお父様が『アルツハイマー型認知症』と診断されたのにも関わらず、本当に親父は認知症なのだろうかと自問し続けるのです。

この本はお父様の行動を見守りつつ、時には哲学を引き出してユーモラスに書きならが、同じ介護者への応援歌になっています。読み終えた後は、心がポッカポッカに温まりました。

みんな同じようなことに悩んで、介護しているのですね。

認知症と正常の境目って何?

身体的衰えとは違い、認知症の介護は割り切れないものが多いようです。

日常生活ができないからと言っても、果たして認知症と言えるのかと自問します。亭主関白で身の回りの世話を妻がし続ければ、元から日常生活ができなかったということになるからです。高橋さんのお父様の場合は自分の銀行口座を知らない、クスリの管理も若いころからできませんでした。奥様が全て管理していたために、日常生活ができないことが認知症にはならないと言っているのです。

他にも私なら、上げることができます。自己中心的な人であれば、周囲の環境に合わせず本能のまま行動し続けてしまいます。思ったことをはっきりいう人、例えば身体的な特徴を笑ってしまうような人などは、元から性格が意地悪なのか認知症ゆえなのかという感じです。例え親であったも、このような悩みは発生します。

認知症の代表行動である徘徊も、不確かな部分があります。高齢になりあまり出歩かなった間に街の様子が変わってしまい、道が分からなくなっただけとも考えられます。私も随分徘徊に悩まされましたが、母の場合は街の様子が変わってわからなくなっただけなのではと思うこともあるのです。

つぶさに観察したくなる気持ちがわかる

高橋さんは認知症なのか正常なのかを判断するために、目を凝らして父の言動をつぶさに観察するようになります。

書籍の中で紹介しているお父様の会話は、明らかに現実とはズレまくっていて間違いなく認知症です。それなのに真剣に考えることをやめません。言葉一句一句を念入りに分解し、ついに哲学まで持ち出して解釈するようになりました。こんなにも細かく分析をするのは、父親への愛からなのか、物書きであるという職業柄からなのでしょうか。多分両方。

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愛についてこう語っている部分があります。『介護は愛であり、それゆえ残忍な復習である』という、フェーズです。少しづつできないことが増え、介護者の手にゆだねられると介護者の意志で親の生活の多くのことを決めていかなければなりません。良かれと思ってしている事でも、親にとっては意に添わぬこともあるのです。復習しようと思っているわけではなく、結果そういう風になってしまうのではないかという懺悔の気持ちです。

多分、これは認知症を介護した子供の共通する気持ちだと思います。認知症になっても、親は親。ちゃんと理解したいのです。けど、「果たしでこれで良いのか」という、四六時中不安の中で一杯です。

認知症の親を正確に理解する

多くの介護者がするように、高橋さんも認知症の専門書を数多く読んだのでしょう。高橋さん自身が悩んで専門書で解決した事柄を、自分自信の言葉で説明されています。

専門書のように章立てて順序を意識した内容ではなく、必ず介護者が陥るであろう悩みの部分にスポットがあたっていました。読んでいてやはりそうなのかと納得することが多く、素人の立場に立って嚙み砕かれた内容であるため、すっごく分かりやすかったのです。

認知症の親を正確に理解しようとすればするほど、子どもの頭はこんがらがり迷路にはまってしまいます。実の親を看るとなると、認知症という病の特徴だけを考えてはいません。親の人生観、価値観、子供の頃からつちかわれた性格なども、おのずと思いを巡らせてしまうのです。

この実体験の記録は、迷子になっていく介護者の状況を正確に伝えています。

介護者の懺悔を救ってくれる

どの、介護者の書籍にも少なからず、懺悔の気持ちがあります。

多分多くの介護者は、声を荒げたり傷つくことを言ってしまったりと、ついやってしまうのです。それもしょっちゅう。

忘れるということはある意味、幸福だと書かれています。もし、父に正確な記憶があったら、ぞっとするとまで書かれています。これまで父にした、数々の失言や暴言、自らの家出を覚えていたら介護どころではないだろうと。まったく同感です。喧嘩しても翌日はケロッと忘れてしまう母に、何度救われたか知れやしません。

認知症でなくでも、忘れてしまうことは幸福だともいっています。私たちは、過去の失敗や多くの後悔、或いは憎しみもあるかもしれませんが、これらを忘れてしまうから希望を持って生活をすることができるのです。

人生にはリセットボタンはないと言われていますが、実は人間は持って生まれたリセットボタンを無意識に押しながら生きているに違いありません。認知症の人は、このリセットボタンが非常に細かく頻繁に押されてしまう、ただ、それだけのことなのかもしれないのです。

そうか、認知症は何度でもやり直しができて自由に生きられる、ニーチェの思想そのものなのかと繋がりました。

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