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「人の目が気になる」の対策は強い自己肯定感ね

心を誰かに支配させてはいけない

すぐにキレやすい、思い通りにならないで怒りをあらわにしてしまうのは、心が委縮して硬くなっているせいです。心が委縮してしまうのは、人の目が気になる性質もあります。年上の人の評価、同僚や同級生との優劣、親の目、近所の評判、心無い人のわずかな中傷や悪口さえビクビクとおびえている人は意外に多いものです。何も特別なことではなく、誰もが持っている心の弱点だと思います。自己肯定のイメージ

キレやすい方は加害者と思われがちですが、実は被害者意識も強くもっています。ビクビクすると、心を縮こませ硬くしていきます。少しの刺激を受けると、弾力のない心は、大爆発して怒りにつながるのです。

委縮した心をしなやかにする方法は、今ある自分を丸ごと認めてしまうことです。自己肯定感。

周囲の状況や人の目によって、自分の考えること感じること選ぶことのいずれも、支配させてはいけません。自分を肯定し続けて、自分はどう感じたいのか、何を選ぶべきなのかを心の望むままに行動をすればよいのです。原点は常に自分にあるので、軸足はずれません。立場の違う人の言動に振り回されないためには、軸足をずらさないことです。

スピリチュアルな方たちがいう自己肯定感は、この言葉自体がありきたりで中途半端に伝わってしまいます。『当り前じゃないの!』の一言で、それ以上の行動に繋がらない危険があります。ならば徹底的に自意識過剰、ナルシスト、自信過剰になってみること、極限まで自分を肯定してしまうことをお勧めします。

こうした強い自己肯定は、心を熱くし多くのエネルギーを作り出すに違いありません。アスリートが大事な試合前に、『かならず勝てる』と宣言するときを思い起こしてください。熱い闘士がエネルギーとなり、こちらに伝わってくる錯覚に陥ることがあります。

こうした強い自己肯定感を持つと、どうでしょう?内臓はもちろん、手も足も思考も、誰にも支配されることなく自らの意思で動かせられることに気が付くはずです。もしこの時、他人の言動でキレたり怒りを感じていたなら、自分の不甲斐なさにいら立つに違いありません。自分に自信がないせい?と思い直せるやもしれません。

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喜びや幸福感は、周囲の状況によって決められるものではなく、自分が決めた展望や夢、目標、自ら築き上げた人間関係の中から生まれてくると分かったら、気になる人の目の存在は消えるものです。

善悪に正解かあるのか

人の目が気になる理由に、もしかしたら悪いことをしているのではと不安になる場合もあります。自分が悪であるかもしれないという恐怖が、心を委縮させるのです。罪悪感は、日常のほんの些細なことにあります。高齢者に席を譲らなかった、お店で間違って多くのおつりを受け取ってしまったなど色々です。

組織の中には、善悪の色分けが多数あります。法律、校則、社内規則と定められたルールや、道徳、風紀、身だしなみなど社会生活での慣習的なことも含まれています。地位や名誉のある人が、『これは悪だ』と発言した瞬間、アバウトだった事の善悪が決定づけられてしまうこともあります。

引き寄せの法則で有名な『サラとソロモン』では、善悪は一体だれが決めるのかと問うています。というより善悪に正解はあるのでしょうか?多くの人や国は、自分が正しくて他人は間違っていると信じています。争いが絶えず、地球上のどこかで戦争が行われ続けているのは、お互いの善悪の解釈が違っているから、合意が得られていないからなのです。

善悪の正解を他人に、押し付ける必要性はありません。争いで善悪の正解を決めるのではなく、自分自身の『心の扉』に注意を向けるように提案しています。その方が世の中は上手くいくというのです。

もし、善悪で不安になったら、その解釈の行為にどれだけの価値があるのか改めて考えてみることです。『万事良好』と思い込むことで、委縮した心が柔らかくなり開放します。自分自身の喜びのために行動し続けていくことで、自らも周囲も幸せを引き寄せることになるのです。自らが望む良い行動をとりつづけることが、善の道を歩くことにつながると信じられるはずです。

ラディカルなことだけど改めて心にどしり

『サラとソロモン』の主題とは幾分ずれたかもしれないけど、引き寄せの法則を自分の頭の中で再構築させると上述のようになりました。子供向けの本でありながら、ラディカルなことを上手に読者に語りかけてくれているようです。↓

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